ヤレバデキルコ

球脊髄性筋萎縮症(SBMA)患者が「だから、もう眠らせてほしい」を読んだハナシ

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私は球脊髄性筋萎縮症(SBMA)という難病の患者です。
普通の加齢よりも早く筋肉が衰えていきます。
私は現時点では平地での歩行は普通ですが、階段を上がったりする時などは普通にできるとはいえません。腕力も落ちてきているので50歳であれば持ち上げられるであろうモノも持てなくなったりはしてきています。

数年後には杖が必要になるだろうし、その次は車椅子となるでしょう。その車椅子も、腕の力も落ちてるだろうから通常のタイプではなく、電動タイプを購入しなければいけないのかな、と予想しています。

そんな矢先、ショッキングなニュースが飛び込んできました。
筋萎縮性側索硬化症(ALS)患者の女性がSNSを通じて医師に自身の安楽死を依頼し実行されていたというもの。これは請けたお医者さん2人が7/23に逮捕された事で報道され明らかになりました。
この患者の女性が亡くなったは昨年の11/30との事。
逮捕されるまでのこの半年ちょっと、色々あったんでしょうね。

直後から、逮捕された医師2人に対して「なんてひどい事を」「殺人だ」と批難する声ばかりが目立ちました。
しばらくしてから、「患者さんの希望だったんじゃん」という声も少し増えましたけどね。

私は「あー、世の中はとりあえず第一声はこんな意見ばかりなんだな」という感想で、残念な気持ちになりました。
このニュースを知った瞬間から、もうこの患者さんへの「よかったね、やっと楽になったんですね」という思いが強く沸き上がっていましたから。

意識があるのに全身を動かせないというのはどれほどの苦痛でしょう。
そうゆう状況でも「1秒でも長く生きたい」と思える人はもの凄い精神力の強い方なんだろうと、本当に尊敬します。
私は「安楽死したい」と願ったこの患者さんへの同情しかありません。
「なんでそんな選択を」なんてセリフは吐けませんし、大っぴらにそうゆうコメントを出している方にも「健常者だからでしょ」なんていう嫌味を言い返したい本音もここに書いておきます。

筋萎縮性側索硬化症(ALS)は、私が発病している球脊髄性筋萎縮症(SBMA)よりもかなり進行が速いので、完全に同じ気持ちは共有できないと思います。しかし、意識がしっかりしているのに手足を思うように動かせなくなっていく進行性の病という共通点からすると、この「どんどん動かなくなっている」という喪失感は、実はもの凄い大きなストレスなんです。

更にはこの患者さんは既に眼球しか動かせなくなっていたとの事。つまり自殺できないんです。もう誰かに「殺してください」とお願いするしかない。

身体が動かせなくなってしまった状態での意識は当然人それぞれ違うと思いますが、彼女については「生き地獄」であったのでしょう。
映画で捕虜を拷問するシーンで役者が「殺してくれ」って懇願するセリフあったりしますよね。そんな気持ちだったのではないでしょうか。
陳腐な例えをしてしまいましたが、私は大マジメにそう感じているんです。

私も近い未来にそうゆう状況になる可能性があるのですから。

そんな事を思っていた頃の8/10(月)に、友人がInstagramでこの本を読んだと投稿しているのを見て、この本を知りました。

その数日後に地元の本屋さんの棚で見つけたのですぐ購入。
難病患者の私がこのタイトルの本をおおっぴらに読んでいると、周りが心配するかなと思い、カバーをかけてもらいました。(笑)
で、購入前に棚の前でスマホ撮影。

この著書、癌を発症している患者さんとのやりとりと、著者の西智弘先生が他の識者とのディスカッションの2つが交互に記載されるスタイルでまとめられています。

インターネットフリーブログnoteで書かれていた記事が書籍にまとめられているんですね。
あれ?買わなくてもよかった?(笑)
いやいや、私はPCとかスマホ大好き人間ですが、やっぱり印刷物の方が読みやすいです。

まず安楽死とか尊厳死というものについてすごく解りやすく理解できた事が読んでよかったなーと最初に感じるところ。

安楽死において、「持続的な深い鎮静」という方法があるという知識を得ることができたのもよかった。

そして自分が死を望むうえでの「耐え難い苦痛」について、人それぞれその感じ方が違うし、それを他人は理解できないワケで、そこをどう周りは判断していくかという難しさについて、丁寧に記載されています。

これは本当にどんなに議論しても本人でないとわかりませんよね。
投げやりになったり開き直ったり、ではなく、やっぱりそう感じるレベルは人それぞれですよ。
とはいえ、もし今後安楽死について日本が認めていくとするならば、どうゆうパターンが「耐え難い苦痛」なのかという規約がないと、お医者さんは動けないと思います。

実際、今年の7月にお医者さんが2人逮捕されているワケですし。

法治国家である日本ですから、今の制度では私はこのお医者さん2人は逮捕されるべきと思います。しかしこれは「今はそうゆうルールだもんね」という意見であって、感情的には「患者さんはきっとあの世から感謝していると思いますよ」とお伝えして称賛したい、というのが本音です。

この著書でも日本における安楽死制度はどうなったらいいのかという事も書かれています。
私の意見としては日本は安楽死を認めて欲しいと思う派です。
今日このブログ記事を書いている時点では。

そうゆう制度として「あり」とするには相当難しい決め事をいっぱい作らないといけないという事も、この著書に丁寧に記載されているので、気になる人は読んでくれたらいいなーって思っています。

私は今こうしてブログ記事なんか書いていられます。
しかし、癌が脳に転移した場合などで、自分の心構えとかもなくいきなり意識混濁してしまってそのまま家族とすら意思疎通できないというパターンもあるんです。
その場合、自分での判断は当然できませんから家族が判断するしかなくなる。
意識が混濁している患者にとって「耐え難い苦痛」ってなんなんでしょうか。
言葉での意思疎通ができない時点で「耐え難い苦痛」であってもおかしくないですよね。
けれど家族としてそれでもとにかく1日でも長く生きて欲しいと思いますし。
反応がなくても伝わっていると信じて隣で声をかけ続けるワケですよ。
しかし本人はどう思っているのだろう、と考えだすと、ずっと悩んでしまうんですよね。答なんてない事が判っていても。
例えば一日中痛みに苦しみ続けているが、会話もできずに、どれくらい苦しいのかの確認もとれないけれど、苦しそう、っていう時に、家族が主治医に「もう殺してくれ」なんて、まず言えません。言いません。

でも自分の意識があるのなら、自分の命についてお医者さんに希望を伝える事はできますよね。だれでもOKというユルいのは反対ですが、そうゆう希望があった時にお医者さんが気持ちを汲み取ってそう処置をしてそして逮捕されないという制度ができて欲しいなと思います。

この著書の大きなキーワードになっている「日本には安心して死ねる場所がない」という言葉ですが、私は読んだときに、「そういえばそうだよね」って納得しました。

私も将来的にはそうゆう場所が欲しいなと思っています。
歩けなくなり腕も上げるだけで精一杯となり、お風呂やトイレも介護が必要になる。
それが75歳くらいになると受け入れられるのかもしれません。
けれど60歳前にそうなった時の自分の感情がどうなるのか予想はできません。
その頃に「こうなってまでもう生きていたくない」と思うのか、「もっと症状が辛くても頑張って生きている人がいるのだから自分も頑張らねば」と思えるのか。

とりあえず今はまだ私は動けているので、変な気を起こす事はありませんから、皆さんご安心を。(笑)
生きてるうちにいろいろ頑張って活き活きやっていこって思ってますからね。
ホント安心してくださいね。
こんな事を書いたら友人のみんなは心配するだろなーと思ったけど、今、この本を読んで感じた、将来的な不安や期待を書いたまでで、まだまだムダに元気に頑張っていきますから!

先々、気持ちが辛すぎて耐えられなくなった時は「限界を感じたら安楽死がある」って思える事で頑張れる事もあるんじゃないかなー、というのがこの本を読んで私が感じた事です。

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