年末年始は石川県に帰省しましたよ。
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12/28の夕方に東京を出発。今回、車を借りて、自分で運転で帰りました。
東京から高速道路で松本ICまで進み、そこから一般道で富山ICまで進んだら、もっかい高速道路で石川県へ、というパターン。
だいたい6.5時間くらいを想定。
出発する時にちょっと鼻水が出てたんです。「あれ?風邪ぎみかな?」という感じでボックスティッシュを一箱積んで夕方6:00頃に出発。
談合坂SAで夕食を食べたのですが、なんとそこで半分しか食べられないという、私にとっての異常事態。
オーダーする時は普通に食べる気まんまんだったのに、途中でお腹いっぱいで無理って感じだったんです。
熱とか出てる実感は無かったんだけれど、その後、走り出してしばらくして「フワフワする感じ」があり、これはマズいぞと、高速道路を80kmくらいで走行し、次のPAで一旦休憩。
眠気もなかったのですが、ちょっと休もうと運転席のシートを倒して、気付いたら30分経過していたって感じ。
眠さを感じていなかったのに寝れた、俺、身体おかしくない?
その後、走り出すもやっぱり自分の注意力が下がっている実感。これでもドライバー歴は30年以上ですからね。
一般道よりも高速道路をゆっくり走る方が安全かも、なんて思いながら、PAやSAに着く度に入って車を停め、そして毎回寝れてしまうという異常事態。
松本ICで一旦高速道路を降りて、一般道を走行。もう時間もかなり遅くなっていたから車も少なく、かなりの安全運転で走行。なんなら、何台か後ろに着かれて煽られる前に、すぐハザードだして抜いてもらったり。
そして車を停められそうな広いスペース見つけては休んで。
何とか富山ICまで到着して再度高速に乗り、そこから普通なら1時間かからず石川県に入れるのに、また休憩とったりして、結局、東京を前日夕方6:00に出発し、自宅への到着が翌朝7:00でした。
その頃にはだいぶ身体の調子も戻ってきていたのですが、一旦また仮眠して、昼前くらいに、妻に運転してもらって近所の病院へ。
インフルエンザA型でした。
発症して一番シンドい時に約400km走行しちゃいましたよ。
バカですね。
ただ、たぶん熱は出てなかったと思うんですよね。
まぁシンドかったのは事実ですけど。
事故なくてよかったー。
病院でタミフルもらってそれ飲んでまた自宅で眠っていました。寝っぱなしですわ。寝れるって事がやっぱり身体がおかしいんですよね。
そんなこんな、30日にはすっかりもう体調も良くなっていたんだけれど、家族に伝染させたくないので、当然家の中でも隔離ですよ。
せっかく久々に娘に会えたのに、同じリビングのテーブルで食事も取れない。
しゃーないですよね。
そんなこんな、大晦日の夜の紅白なんかも家族と離れた位置から観たり、「これもハナシのネタって割り切るしかないよねー」なんて過ごして、元旦になりました。
夕方の大地震です。
幸い我が家は被害ナシでしたが、まぁ、揺れました。
ちょっと初めてに近いくらいの衝撃。
震源が能登という事もニュースで知り、津波もかなり警戒しつつ、私達は自宅で過ごしていました。
娘がかなり怖がっていたのが表情から判ったので「大丈夫」って言い続けたりしていたのですが、その後余震も続きつつ、一応、収まったかな?という判断で、予定通り、1月3日に東京に戻りました。
なかなか強烈な年末年始になっちゃいました。
石川県の能登地方での被害は尋常ではなく、友人も実家が被災していたり大変な事になっています。
これ以上また被害が増えませんように、早く復旧しますように、と祈るだけ。
あとは募金くらい。
SNS見ているとまだ道路事情が悪いからボランティアは来ないでって言ってるのに行っちゃってる人の意見のぶつかり合いとかいろいろあるけれど、とにかく、一日でも早く復旧して欲しいと願うだけです。
こっちに来て翌日はまだ休みだったので4日に近所の少し大きめの神社に初詣に行って、「とにかく、続いている余震が収まりますようお願いします」って祈願したりね。
祈るだけって、何にもならないけど、現場から離れちゃうともうそれくらいしかね。
そんなこんな、とりあえず、このしっちゃかめっちゃかになった年末年始の事をメモしておきます。
もし仕事休めたらボランティアとか協力したいけれど、球脊髄性筋萎縮症という病気を発症しちゃってて、筋力がかなり低下している私が参加しても足手まといだしね。もどかしい限り。
応援するっつっても、ただ、祈るだけみたいな感じも情けないね。
しょうがないんだけれどね。
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